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コトバの向こう側

以前、介護職をしていたときの話。 私が働いていたのは、認知症といわれる人たちが暮らす、グループホームという施設だった。 その施設で働いていたときに、よくこんな風景を見かけた。 Aさん、Bさんという2人の人(女性)が、ソファに並んで座って話をしている。お互いニコニコしながら話をしていて、時折相手の言葉を聞いて笑ったりしている。 でも、2人の会話をよく聞いていると、それぞれ全く関連のないことを話していて、会話の中身はかみ合っていない。 2人の話は会話の形をとっているけれど(明らかにそれぞれ相手に向けてしゃべっており、独り言ではない)、話の内容は全くつじつまが合っていない。 でも、2人ともとても楽しそうに話をしている。 これは、どういうことだろう?と思った。 私は普段、会話をするとき、言いたいことをできるだけ正確に言葉にしなくてはと思っている気がする。 思わぬ誤解を招いたり、相手に言いたいことがうまく伝わらず、意味の伝達や会話のやり取りがちぐはぐになってしまうことを恐れている気もする。 でも、自分が施設で見た人たちは、言葉の内容はちぐはぐでかみ合っていないにもかかわらず、会話をとても楽しんでいるように感じた。 もしかしたら、自分は、話の内容や言葉、意思伝達の正確さといったことを意識するあまり、コミュニケーションの本質や核みたいなものを見失いがちなのかもしれないと思った。 ところで、自分なりにコミュニケーションとはなにかと考えてみると、そこで一番大切なのは、なにかを他者と共有することなのではないかと思う。(共有できないことを知る・・ということも大事なのかもしれないけれど) それ(なにか)は、「仲良くなりたい、仲良くしたい」「相手のことを知りたい(知ってほしい)」という思いだとか、いろいろあると思う。 でも、面と向かって「仲良くしましょう!」とか「あなたのことを知りたい!(私のことを知ってほしい!)」などとは言わず、様々な言葉に置き換えて自分の思いを表現しているんじゃないだろうか。 だけれど、自分の出会った人たちは、そういった言葉の一つ一つの内容を聞いているのではなく、その奥にある「一緒に過ごせてうれしい」とか「楽しくお話しましょう」とか「私はあなたといて楽しい」といったようなことを、お互いにやり取りし受け取っているんじゃないかと思えた。 "言葉の向こう側の世界"とでもいうようなやり取りをしているようだった。 言わずともわかる、ということではなく、言っていることはわからなくとも言いたいこと(伝えたいこと)はわかる。とでもいうのか・・。 言葉というのは(もちろん大事なのだけれど)、あくまで道具であったり手段なんだよってことに気づかされるような光景だった。

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